Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
平成27年3月30日神戸市中央区東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」に横綱白鵬関の姿があった。国宝姫路城平成の大修理完成記念相撲のため神戸への立ち寄りだったようだ。ここには、阪神・淡路大震災(以後震災という) で犠牲となられた方々の名碑がある。昨年、震災当時から尽力された前兵庫県知事貝原俊民氏と阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長黒田裕子氏(前日本災害看護学会理事) の名前も刻まれた。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災を体験した。当時は一施設の看護部長だった。自施設は、大阪寄りに位置し武庫川の堤防により大きな被害を免れたが、全国の関連施設からの災害支援チームの活動拠点として役割を果たし多くの体験と教訓を得た。この体験は、東日本大震災での被災地支援に活かすことができた。兵庫県看護協会は、関西広域連合(カウンターパート方式での支援) の一員として3月17日から10月末まで延べ1082名の災害支援ナースを派遣した。これは、震災の体験から①被災地ケアの継続性②支援ナースの身分保障を考えての選択だった。被災地では、①ニーズに応える②つなぐ③セルフケアへの支援を柱に活動が継続できた。震災では、3つ教訓を得た。①仮設住宅・災害公営住宅での「コミュニティプラザ」での交流や健康相談・巡回相談により被災者との顔の見える関係づくり。後に「まちの保健室」として継続した事業となった。②ボランティア元年と言われたように全国から駆けつけてくださったボランティア(看護職)に対する体制づくりでは、中間的支援の重要性。③創造的復興は生活の拠点である「未来のまちづくり」とともにあり「健康なまちづくり」が重要であることだった。
Copyright © 2015, Japan Society of Disaster Nursing All rights reserved.