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はじめに
筆者は1983年1月から85年1月までの2年間,マレーシアにて作業療法に従事した。配属先は首都のクアラルンプール(以下K.L.と略す)近郊にあるPusat Pemelihan Cheras(チェラスリハビリテーションセンター,以下P.P.C.と略す)である。P.P.CはK.L.より18km南下したところに位置する。国道より西に1kmの山の中腹にある平屋建の建物で,敷地面積は8万m2を有している。社会福祉省の管轄であり,付近には同省管轄の老人ホーム,少女院が存し,これらの周囲には官舎があるばかりだ。つまり人里離れたところに三施設が肩を寄せながら建っている。尚,マレーシアの医療及び福祉行政は日本のように厚生省の下に一本化してあるのではなく,Ministry of Health(保健省)とMinistry of Social Welfare(社会福祉省)に分かれ,前者は医療面を担い,病院系列はここの所轄になる。後者は社会福祉面を担い,全国唯一のリハビリテーションセンターでもある当P.P.C.種々の障害児施設,養護学校,薬物中毒者の更生施設(もっともこれは麻薬が社会問題化してから筆者在マ中に刑務所と同じく内務省管轄になった),老人ホーム,少年院等がここに所轄される。当時保健省所轄の病院には100名近くのR.P.T.約20名のO.T.R.が働いているにも関わらず,社会福祉省にはP.P.C.に1名のR.P.T.がいるのみで,同省所轄の施設では医療面が不十分である。そのためアメリカ,イギリス,西ドイツ,日本にボランティアの要請を出し何とかしのいでいる状況である(尚,アメリカは83年でボランティア派遣を打ち切った)。
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