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はじめに
作業療法士として人と関わる時,もうひとつ言語化出来ない“なにか”を感じるのはイメージの世界を言葉で明確化出来ないという私の逃げだろうか。
精神科に就職した初めの頃感じていた“なにか”は,経験を重ねるにつれ,対象を目の前にしても,医学的にまとまった用語としてあてはめられ,あたかも治療者らしい余裕のある態度へ変わっていった。
しかし,最近になって境界例の人に“いつも向こう側に立って,病気で苦しんでいる僕をみているではないか”と言われた時,私にも別の体験での苦しみがあるし,同じ“苦しみ”ならわかるのにと思う反面,いや待てよ,果たしてほんとうに苦しみがわかるだろうかと迷い始めた。
又,それまでも,精神科作業療法士として在ることとは,どういう哲学や治療観,人間観を抱くことだろうかと思っていたし,作業療法士としての“らしさ”以前に,精神科医療に関わる者全てに通じる「対象との関わり方」を教えてくれる専門書はないものかと,短絡的に自分の疑問を解決してくれる他の“力”を捜していた。
丁度,そんな時期,この原稿を書くことになった。
精神科という場の中で,対象との関わりの中から,何をみて,何を感じ,対象の良い方向への変化を願っているか,私なりにまとめてみた。
時の流れのなかで,どんな人も,環境や出会った人や,そこでやっている事によって,変化していくということを,確かに信じて,それを医療という場に置き換えて,〈どんなところで暮らしているか〉—入院しているか,家庭にいるのか,〈どんな人達に出会っているか〉—医療スタッフとはどんな人だろう,〈どんなことをして暮らしているか〉—どんな仕事をしているか,何を楽しんでいるか,の3つの要素から,問題を考えていく。
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