保健婦のあゆみ
歩みつづける私(その2)
桟敷 よし子
1
1土曜会歴史部会
pp.69-72
発行日 1965年1月10日
Published Date 1965/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203299
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日本女子大に入学
園児たちはほとんど豊かな家の子女でした.土曜の午後と日曜日に,奥沢と色内の日曜学校を教えにゆきました.そこは貧しいこどもたちがほとんどでした.「神はあるのか,天国はどこか」など大きいこどもに問いつめられて.きれいな心の中にあるなどと苦しい答をしたころから,キリスト教人道主義に矛盾を感じ始めました.その夏,教え子の1人のお母さんの親戚から,英語の家庭教師をたのまれて,余市で手広く漁業をやっていた資産家の家に2カ月の休暇をすごしたのが縁で,後で日本女子大学校,社会事業学部に入学することができました.
19歳の夏から淋巴腺結核,湿性肋膜炎・膿胸・肺浸潤とつぎつぎに悪くなりましたが,家庭教師の住み込みで,治療しながら,どうにか卒業しました.そのあいだの思想の成長として……大震災の直後,賀川豊彦氏が本所区松倉町に産業青年会をもって,キリスト教伝道と罹災者救済事業を兼ねてしておられました.当時馬島燗先生も同じバラックでわたしたち大勢と起居をともにしておられました.
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