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はじめに
OTRとなって8年。人生歴30年。老人のOTに関わりを持つようになって8年……つまりセラピストとして,社会人としての第一歩を老年期の障害を持つ人々と共に歩み始めたのである。「PTもOTも老年期にあってはその知識をZeroに戻してスタートした方がよい。」との施設長の言葉に,若い理論的知識で一杯の私は,「PTも採用していながら何ということだろう」という疑惑の念で満ちていたこともあった。
今はどうかというと,過去の助言はそれなりに周知したもののOTの関与できる幅の広さに困惑を覚え,『理論の深さ』を痛切に感じている次第である。
特に昨年から某学院の実習学生のアプローチを見ていても,自分の過去の姿を見るような気がすると同時に,うまくOTの理論を自分なりに理解して切り抜けてゆく者もいるし,厚い壁にぶつかり何をどうしたらよいかわからず自信をなくしてしまう者など様々な姿を目にしていると,『理論の多様性』をも感じる。
然るに,私は自分なりにこう冒頭で断言しておきたい。
作業療法とActivitiesは離そうと思っても切れない関係にある。何故ならばOTにとってアクティビティは,自らの生命を守る武器であるからである。しかしOTがそれのみを手にしていても,論理的に現在理学療法(PT)が確立しているまでには展開できないだろう。そのためには,アクティビティをハンドリングするOT自身が患者やクライエントを前に,自己をこの対象者のためにどう活かすかという内的な役割選択テクニックを質・量ともに成長させるような考え方が必要ではなかろうか。いわば,治療的自己の利用の体系化である。
PTと違ってOTには白衣が似合わないとも言われるが,必要な場合だってある。ただOTの持つ特性が対象者との交わりにおいて偏向を示さないだけのことである。
殊に対象者が老人にあっては,治療者たる以前に,いろんな色に染まり得る純白の素材を持ったMachine的人間像が期待されるような気がする。
序文からはなはだ勝手な論議とは思っているが,老年期の特徴を考慮して以上の点については最初に触れておきたかったところである。
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