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脳神経外科医として働いていると,重篤患者が搬入されたり,入院患者が急変することも少なくありません.蘇生が必要なこともありますが,そんなとき,最近は少し様相が変わってきたのではと思うことがあります.昔は家族側もせめて命だけはと言うことが多く,蘇生が困難と思っても可能な限り蘇生を試みました.しかし近年,蘇生をしない,もしくは途中で中止してほしいと言われることが増えてきたように思います.これは尊厳,living will,ACP(advanced care planning)などが社会に普及し始め,事前意思をもつ人が増えてきたためだと思います.2017年の調査では一般国民でACPを考えたことがあるのは3%と少数ですが,厚生労働省も一般人が受け入れやすいようにACPを人生会議という名前に変え,普及に力を入れています.人生会議のポスターは問題が指摘され再考となりましたが,その報道も普及の手助けになったと思います.これからますますさまざまな事前意思をもつ患者が増えてくると思われ,その対応には正確な知識と正当な倫理観が必要だと感じています.今まで倫理などじっくり考えたことはありませんでしたが,倫理講習や終末期医療の講演に参加する機会が増えると,経験で身についていると思っていた知識や倫理観が不十分であったと痛感するようになりました.
たとえば,脳幹出血などの機能・生命予後が悪い疾患ではDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)を取得することがあります.以前はDNR(Do Not Resuscitate)が主流でしたが,蘇生しても成功する可能性が低い場合に蘇生を試みないという意味合いが強いDNARが主流となっています.ある終末期医療の第一人者の先生の講演では,DNARは心肺停止時のみ有効であるにもかかわらず,終末期医療の免罪符となって「DNAR=何もしない」ということが平然と行われており,日本集中医療学会でも勧告を出していると聞きました.私自身も,DNARを取得した患者には蘇生以外の医療も一歩引いて行ってきたことがあり,胸に刺さる思いをしました.当然,本人の事前意思や家族の希望で何もしないのならよいのですが,医師側の判断だけであれば医療倫理に反する行為となります.患者側の希望することをすべて行うというのではなく,意義のないことは不必要と伝える必要はありますが,患者が簡単に知識を得たり情報がすぐに拡散する時代でもあり,非倫理的行動は政界や芸能界同様に社会的制裁を受ける可能性があると思っています.
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