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1992年に弘前大学を卒業後,私が医師としての基礎を学んだのは順天堂大学脳神経外科でした.当初の医局の方針はgeneral neurosurgeonの育成であり,subspecialtyという概念はありませんでした.現教授の新井一先生の采配により,順天堂大学脳神経外科で特に弱かったsubspecialtyの再確立のため,血管内治療,てんかん手術施設へ医局員が出向しました.その流れで私は愛知医科大学にspine fellowとしてお世話になることになりました.中川洋教授の下で修業を積みつつ,中川先生のお計らいで榊原温泉病院の久保和親先生にも師事させていただきました.修行後順天堂大学に戻りましたが,「subspecialtyも含めてgeneralであり,subspecialtyは不要」というスタンスが根強く残っていました.確かに欧米の脳神経外科医は当たり前のように脊椎脊髄手術を行っており,術式に脳神経外科医の名前が冠されているものも多々あります.また,医局内とは別に脳神経外科医があらためてspinal surgeryに手を広げていくことに対する批判もあり,総合的に歓迎ムードとは程遠い状況にありました.上級医が多い環境で一般脳神経外科診療を行いつつ,大学ないし関連施設のspine症例の診療に主張は控えめながら手間は惜しまず積極的に関わるようにしていくうちに,徐々に大学を含め関連施設の脳神経外科,整形外科の先生とも仕事をする機会が増えていきました.特に当時の順天堂大学脳神経外科は小児神経外科疾患手術が非常に多く,小児神経外科疾患の大半は頭蓋頸椎移行部ないし腰仙骨部の病態に関わっているため,大学在籍中は小児脊椎脊髄疾患を多く経験できました.その後,後輩が育ってきたこともあり,2012年に新百合ヶ丘総合病院に異動いたしました.新百合ヶ丘総合病院では脊椎脊髄診療を専門とする部署の立ち上げを行い,周囲の整形外科の先生方とも交流する機会を得ることができました.特に川崎,多摩の脊椎脊髄外科の先生方にはお世話になっています.多くの先生方に手術見学のご許可をいただき,ハンズオンなどでも手術を教えていただきました.中でも経皮内視鏡手術では,小見川総合病院の清水純人先生にお世話になっています.近隣施設の先生方との関係では,セカンドオピニオンなどをお願いする機会も多く,弘前大学同門会会長の石戸谷欣一先生が繰り返し学生にお話しされていた「養生訓」の「前医をそしる我また前医」の言葉を実感したことも一度ではありません.そのたび感謝しています.
新百合ヶ丘総合病院では脊椎脊髄末梢神経外科と銘打ったため,早くから運動器としての脊椎,骨代謝の問題の重要性を強く実感して診療にあたる必要がありました.そういった背景からか,Neurospineという言葉について深く考えさせられています.脊椎脊髄手術を神経組織の除圧を行う手技としてとらえると,姿勢異常や筋骨系の緊張に伴う痛みなどの症状には考えが及び難い事実があります.画像上の神経障害部位がないからといって,痛みやしびれを気のせいにしてはいけない.一方で,すべての姿勢異常が矯正を求められる「疾病」状態ではなく,第34回日本脊髄外科学会の最終日シンポジウムの最後に金彪理事長がおっしゃった「正しい部位の神経除圧を十分かつ最小限で行うことで改善される姿勢異常もある」ことも,紛れもない事実です.
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