Nomade
女性脊椎外科医として歩んできた道—それは1例から始まった
安宅 洋美
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1松戸整形外科病院脊椎センター
pp.727-728
発行日 2017年8月25日
Published Date 2017/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5002200680
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「女医」という職業についてから,来年で30年になる.その間に女性医師数は飛躍的に増え,病院で働く医師の約5人に1人は女性医師,という時代になった.ところが,診療科別の医師男女比では,整形外科は4.4%と,ダントツの最下位である.その中でも「脊椎外科医」となると,私が属する千葉大学整形外科では,平成元年〜27年の全入局者中,女性脊椎専門医の割合は2%,さらに実際に脊椎手術を行う女性医師は0.6%ときわめて少ない.脊椎関連学会(2016年)の抄録をもとに調査してみても,女性が筆頭演者の演題数は11/1,080演題(1%)と同様の結果であった.このように,大変まれな存在である「女性脊椎外科医」である私が,これまで歩んできた道,学んできたことを,この機会に振り返ってみたい.
入局後14年の歳月が流れた2003年,私は脊椎外科のプロフェッショナルになる,と一念発起し,松戸市立病院へと赴き,よき師と巡り合った.その師とは,丹野隆明整形外科部長,独自の哲学の持ち主で,手術の技術よりも,「一例一例を大切によく考える」「教科書に書いてあることは必ずしも真実ではない.真実を伝えるのは患者自身である」という理念を徹底的に叩き込まれた.幸運なことに,松戸市立病院は脊椎疾患患者の宝庫であり,典型的脊椎疾患から,「何これ……」と絶句するようなまれな重症疾患まで,多くの症例を経験することができた.来る日も来る日も脊椎外傷,重症脊髄症,急な麻痺,動けない下肢痛の診察と治療に追われ,帰りは遅く,週末も休む暇もなかったが,毎日が新しい出来事の連続で経験と知識が増えるのが楽しく,苦にはならなかった.
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