特集 女性のアイデンティティと出産
女性のアイデンティティと子供を生み育てること
私の歩んできた道(Ⅱ)
伊藤 兼子
1
1西新井病院産婦人科外来
pp.605-608
発行日 1980年9月25日
Published Date 1980/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611205760
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昭和49年1月の寒い朝,出勤時間を告げる7時30分のベルが鳴る。まだまだ親の肌に,布団のぬくもりに浸っていたい3人の子供たちをせき立てて,家を出る。当時,私は32歳,長男4歳,次男2歳3か月,三男8か月であった。三男を背に,長男,次男は乳母車の中でうずくまり,ガラガラと車輪の音をたてながら,大人の足でも20分はかかる保育ママ宅と公共保育園の2か所に子供たちを頼んで,8時半,学生実習指導の目的で病院の門をくぐる。看護業務再出発の朝だった。
私は昭和39年,看護婦免許取得。その後42年に第2回厚生省主催の看護教負養成講習会を受講し,翌年4月より卒業校の専任教員となった。しかし44年の長男出産後,間もなく主人の転勤,義母の突然の死などで職場復帰不能という事態になってしまった。女性が結婚し子供が生まれてもなお仕事を続けていくには,さまざまな障害がある。夫婦だけなら帰宅時間が遅くなろうと,当直で病院に泊りこもうと,外食がちになろうと,大人同士の話し合いで解決できるはずだが,子供が生まれたらそうはいかない。子供の心配をせずに仕事に専念するためには,子供を安心してまかせられる施設が必要になる。そこでなんとか保育施設をと,東奔西走して捜したが,当時0歳児保育施設はなく,まだ1歳にもみたない乳児を他人にまかせ,1時間以上もかかる職場に行くことを主人は許してくれなかった。
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