連載 続々・歴史と遊ぶ「ハンセン病と隔離政策」・第4回
法律に病名を強調した「癩予防法」
江藤 文夫
1
Fumio Eto
1
1国立障害者リハビリテーションセンター
pp.660-664
発行日 2020年7月15日
Published Date 2020/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001202151
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国際動向は知っていて日本は日本
1900年(明治33年),わが国で最初の本格的なハンセン病患者の一斉調査を実施し,1902年(明治35年)に帝国議会で「癩病患者取締ニ関スル建議案」を可決し,1907年(明治40年)に全国の浮浪ハンセン病患者の一掃を目指した法律第11号「癩予防ニ関スル件」を制定して療養所の開設と収容政策を展開した.収容施設としての療養所は全国5地区に分けて設置され,いずれの療養所も初代所長は警察官であった.さらに国は,困窮したハンセン病患者の犯罪的行動と伝染性をマスメディアと一体になって強調し,1916年(大正5年)には法律第11号の一部を改正して,入所者に対する懲戒検束権を療養所長に与え,悪質患者を収容する監房を設置することとした.
幕末から明治維新へと,脱アジアと富国強兵を目指す神国意識は根強く定着したようである.したがって,世界の趨勢はともかく,独自性の主張,血統重視の思想はハンセン病者の絶対隔離と完全消滅に向けた政策を生み出していく.国際会議情報の事実誤認ではなく,確信に基づく行動であり,太平洋戦争での敗戦後も反省の余地はありえなかったようである.明治維新を経験した知識人は,正義を振りかざすことの空しさを時勢として納得し,情報発信はするが,それ以上の行動は控える習性を身につけたかのごとくである.
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