特集 癩
癩予防事業
若松 栄一
1
1厚生省国立病院課
pp.115-123
発行日 1963年3月15日
Published Date 1963/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202635
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日本及びアジアにおける癩予防事業
沿革
今から約1,000年前,光明皇后が千人の垢を流してやる悲願をたてられ,千人目にからだのただれくさつたらい者にぶつかり,周囲の人々の止めるのをふり切つて,みずからその体を流された。それが仏の化身であつて光化した,という言い伝えは既に有名である。同じ頃聖武天皇が奈良に悲田院を建てられてらい患者を収容された。奈良から鎌倉時代にかけて,らいまん延の記録が多い。足利時代から織田豊臣時代にかけてキリスト教が入り宣教師が収容施設を作つた。徳川時代になつてキリスト教が禁ぜられ,教会が破壊されると共に収容所もとりつぶされてしまつた。
明治になつてからは,らい患者は神社仏閣にたむろして物乞いをしていた。特に熊本の本妙寺及び清正公,四国八十八カ所の札所,大阪の天王寺及び草津が有名であつた。患者は放任されていた。
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