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はじめに
障害と人権という本連載の大きなテーマについて考えるとき,2006年に国連総会で採択され,日本が2014年(平成26年)に批准した障害者権利条約(障害者の権利に関する条約)は,世界でいえばエベレストであり,日本であれば富士山に例えられるであろう.その高みにたどり着く道は長く険しい.しかし,目指すべき頂上が定まった意義は大きい.
私たちはその意味では,「巨人の肩に乗り」はるかかなたを見渡そうとしている.その私たちの足元を振り返るとき,世界人権宣言までたどり着くことはさほど難しくない.1948年に国連総会が採択した同宣言の前文は「人権の無視及び軽侮が,人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし,言論及び信仰の自由が受けられ,恐怖及び欠乏のない世界の到来が,一般の人々の最高の願望として宣言された」としている.自分の国,日本が国内外で「人類の良心を踏みにじった野蛮行為」に及んだことを私は忘れることはできない.そのために,1948年(昭和23年)当時,日本は国連の加盟国ですらなかった.
昨年8月の戦後70年内閣総理大臣談話が「何の罪もない人々に,計り知れない損害と苦痛を,我が国が与えた事実.歴史とは実に取り返しのつかない,苛烈なものです.一人ひとりに,それぞれの人生があり,夢があり,愛する家族があった.この当然の事実をかみしめる時,今なお,言葉を失い,ただただ,断腸の念を禁じ得ません」と述べているように,ともすれば自国の被害にばかり及びがちな私たちの思いは,特に海外での加害に向けなければならない.
「野蛮行為」の障害分野の極北は,20万以上のドイツ人障害者を殺害したナチスドイツのT4計画(障害者「安楽死」計画)である.19世紀に生成された障害者を否定する思想である優生学が,史上まれにみる暴力的な政権のもとで悲惨な結果を招いたのである1).同計画の首謀者が,ニュルンベルク医療裁判で処刑されたのは,世界人権宣言が採択された1948年である.
この世界人権宣言から足かけほぼ60年に及ぶ長い歩みの一つの到達点が,この4月に施行される障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律),そして改正障害者雇用促進法(障害者の雇用の促進等に関する法律の一部を改正する法律)である.
本稿では,障害者の「尊厳の尊重」(障害者権利条約第1条)を念頭に置いて,日本での障害差別禁止の経緯とともに,日本の障害者権利条約の実施の大きな柱である障害者差別解消法および,改正障害者雇用促進法の実施を中心に述べる.
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