特集 興奮收縮伝関
巻頭言
細胞生化学に託して
菊地 吾郎
1
1東北大学医学部医化学教室
pp.263
発行日 1963年12月15日
Published Date 1963/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425906296
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生理,薬理,病理などを専攻している方々からときどき雑談のような形で研究のことをうかがうことがあり,そんな折によく「生化学的に考えたらこれはどうなんだ」といつたおたづねをうける。「さあ」と首をかしげてしまうことが多いのであるが,そんなことから,お互いに方法の限界のことなどなげき合うことになる。「今の生化学でどうにか自信をもつてモノが言えるのはせいぜい細胞まででね,まあ私たちは細胞生化学をやつているわけですよ」とか「病理像の背後にはなにか化学的な変化があることは判るんだが,それを追いかけていると肝心の病理像が行方不明になりそうでね,やつぱり顕微鏡でないといけないかなあ」といつたことで話がオチとなる。
実際,医学では人間という高等動物が対象なので,基礎部門でもやはり生物学的な考え方や扱い方が主流になつていて,生化学畑の私たちでさえ代謝反応を中心にした一般生化学だけではすまされない気持になることが多い。高等動物では同じように細胞といつても肝,腎,筋肉,脳神経などそれぞれ特殊に分化していて,これを細胞一般として眺めてしまうにはかなりの蛮勇を必要とする。これまでの比較生化学の貢献もずい分大きかつたけれども,機能の説明としては何か物足らない。
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