研究室から
研究者に夢を
本川 弘一
1
1東北大学医学部生理学教室
pp.51
発行日 1960年2月15日
Published Date 1960/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425906119
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私の研究室には数は少ないが夢を追う若い研究者達が多少集まつている。しかし彼等がその夢に本当に陶酔出来ているのかどうか,現実は余りに厳し過ぎるのではないかと思われる。研究者は夢をもたなければならない。夢をもたない研究者はもう研究者でなくなつていると私は常々思つている。研究者に夢が必要であるばかりでなく,教育者にも必要である。先生の夢が弟子達にはもはや夢ではなくなることが多いからである。私の先生の橋田教授は現実には生物電気殊に皮膚と筋神経の静止電位や活動電位の研究者であられるが,感覚の研究ということを常に夢みていられたように思う。先生の座談や随筆の中に感覚に関するものが可なり多いことを見ても,それがわれわれ弟子達に見えない影響を与えるに十分であつたことがわかる。私の場合は私の前任者の藤田東北大名誉教授が感覚生理学の権威者であられ,その遺産が可なりあつたので自然と研究が感覚生理学に向つたと考えてもよいのであるが,ただそれだけではないと私には思われる。橋田先生の夢が私の研究方向を決定したのだと人が云つたら私は決してそれを否定しないだろう。勝木教授など聴覚の研究に向われたことにも先生の夢が相当の影響をもつたのだろうと私は想像している。
ところが現実が余りに世智辛くなるとしばしば研究者の夢が妨げられる。始めから夢など結ぶいとまを与えないこともある。そして現実がまさにそうした時代である。
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