学会記
国際生理科学連合学会記
冨田 恒男
1
1慶大生理学教室
pp.48-50
発行日 1960年2月15日
Published Date 1960/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425906118
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今夏南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開かれた第21回国際生理科学連合学会につきその学会記を書けとのことであるが,何しろ2000名を越える参加者による1000に近い報告の個々の内容に触れることは至難である。はつきり云つて私自身総ての口演に耳を傾ける程勤勉でもなかつたし,又事実それらの報告が多くの分科会に分れて行われた関係上,いくら勤勉な人でも聴くことの出来たのは自分に興味のある少数の報告に限られざるを得なかつたわけである。そんなわけで茲では寧ろ後に述べる如く6年後(1965年)に本学会の日本での開催が殆んど確実とみられるに至つた事実と関連して,主として学会運営上の印象を述べて将来への参考に資したいと考える。
本学会は従来国際(又は万国)生理学会と呼ばれていたもので,3年毎に世界のどこかで開かれ,今回が21回目というわけであるが,1953年カナダのモントリオールでの第19回学会の時に国際生理科学連合学会と改称され,その主体をなす生理学及び薬理学の名をその下に附記することになつたものである(写真1)。今回の会長は先年糖尿病の研究でノーベル賞を受けたBernardo A.Houssay教授(写真2)で,会場にはブエノスアイレス大学の医学,薬学及び歯学の各部を容れる十数階建の豪壮な建物が当てられた。
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