やさしい目で きびしい目で・114
夢
池田 史子
1
1群馬大学
pp.1009
発行日 2009年6月15日
Published Date 2009/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410102771
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小学生のころ,学年末には毎年文集が作られた。そのなかで必ず将来の夢を書かされたものだが,私は医者か落語家になると書いていた。
群馬大学医学部に入学した春,ひょんなことから落語研究会に誘われた。群大の落研は「医者もできる噺家」というキャッチフレーズの桂前治師匠(脳神経外科医)が創設した伝統ある落研である。私が入った当時は,医学部,教育学部,工学部,医療短期大学と群馬県立女子大から部員が集まっていた。医学部生の部員が多く,高座名(芸名)には医学用語を使用したものもあった。例えば,真田家小虫(さなだやこむし),素比呂家平太(すぴろやへいた),真裸利家玄虫(まらりやげんちゅう)などである。ほかには,嵐家大三治,愛志亭朝台,暮志亭のどか,柑橘亭れもんといった言葉遊びや音のきれいなものがあった。私の高座名は猫家にゃん玉という。先輩が勧めてくれた高座名が気に入らず自分で命名した。猫家は猫家ペルシャなど代々何人もの先輩が名乗っている伝統のある名前だったし,母の友人の家にあったお茶目な猫の縫いぐるみのにゃん玉という名前が気に入っていたので,自分の高座名にしてしまったのである。
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