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Göttingen大学薬理学教室の思い出
酒井 文徳
1
1東京医歯大薬理学教室
pp.164-166
発行日 1959年6月15日
Published Date 1959/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425906079
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1956年の秋から始つた約2年間にわたるGöttingen大学薬理学教室での思い出とともに,ドイツの薬理学界について少し書いてみたい。幸に動乱の起る直前にスエズをぬけ,イタリーのジエノアからスイスを越えてGöttingenに到着した日は,既に秋も深く,菩提樹の葉も大半落ちた10月の半ばであり,駅に迎えてくれた助教授のMercker氏と共に直ちにLendle教授を教室に訪ねた時がGöttengenの生活の第一歩であつた。第二次大戦の戦災も受けなかつた,今は残り少くなつているドイツの典型的なこの大学町の一角に,古色蒼然とした薬理学教室が立つていた。後にドイツ各地の薬理学教室を訪ねたが,これらと比較してGöttingenの教室は大きな教室ではない。Lendle教授を主任として,以下助教授,講師各1名,助手2名,Pflicht Assistent 5〜6名,Doktorand 5〜6名,実験助手(女子)8〜10名,その他に小使2名,掃除婦2名,動物小舎係3名,工作室員2名,以上がその全員である。ドイツに於けるDoktorarbeitは在学中に行い,臨床の講義をききながら,午後研究室に来て仕事をしたり,又,学期休み(2学期制であり,休みが比較的長い)に仕事を進めている。したがつてArbeitの質は左程高いものではなく,平均して1年以内に終了するのが普通である。
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