——
Hugo Theorell教授の業績
佐藤 了
1
1金沢大学理学部生化学教室
pp.171-172
発行日 1955年12月15日
Published Date 1955/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905869
- 有料閲覧
- 文献概要
このたび1955年度のNobel医学および生理学賞は酸化酵素類についてのすぐれた業績に対してスウエーデンのHugo Theorell教授に与えられることに決定した。1953年7月からおよそ1カ年半にわたつてストックホルムの医学Nobel研究所で教授の指導をうける機会にめぐまれた筆者にとつてこの上なくよろこばしいことである。以下簡単に教授の経歴業績について紹介しよう。
Theorell教授は1903年スウエーデン中南部のリンチエピング(Linköping)市の名高い医師の家に生れ,家業をつぐ目的をもつてストツクホルムの王立医大学であるKarolinska Institutetに入つた。在学中,Berzelius以来の伝統をほこる同大学の化学の伝統と当時新進気鋭の青年生化学者として活躍していたE. Hammbrstenの影響をうけ,臨床家となろうとする志望をすてて生化学に転じた。卒業後,副手(Amanuens)としてHammarstenの教室にのこり,血清のリピド成分についての研究をはじめた(1926年)。1930年,Studien uber Plas. malipoide des Blutesと題する論交で学位を得るとともに講師(Docent)に任命された。教授が28歳のときのことである。
Copyright © 1955, THE ICHIRO KANEHARA FOUNDATION. All rights reserved.