研究室から
札幌医科大学生理学教室
丸山
pp.284
発行日 1955年6月15日
Published Date 1955/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905836
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一年の内半分は雪に閉ざされ,真夏とて朝夕の冷気が肌に爽やかな感触を与える詩の都札幌の一隅に,恰も戦争の落し子の様に誕生したのが札幌医科大学である。戦争の末期に設立された道立女子医專が,昭和25年の春に昇格して大学となつたのである。吾々が日夜真剣に学問と取組み,人生を語る道場としての生理学教室が発足したのもその時である。爾来4年有半,伝統も設備も何も無い所から,新進気鋭の永井教授の精神面竝びに物質面に亘る創設の努力が漸く実を結ばんとしている。
新制の大学とは言え,その研究陣容は,永井教授,宮崎,寺山両助教授,横山講師以下助手八,技師一,研修員十三の多くを数え,17の実験室,常時-20℃を保つ低温室,電子顕微鏡,X線廻折装置などを縦横に駆使している。当初,吾々の研究目標を心臓の自働能解明に置き,鶏胎児の心電図,組織化学,或はacetylcholine,cholinesteraseの分布定量などを足掛りとして研鑚に努めた。然し,この問題をより深く追求する時,心臓も亦筋肉の臓器であるとの壁に突き当つた。
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