主張
研究と生活
西丸 和義
pp.93
発行日 1951年12月15日
Published Date 1951/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905620
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研究即生活でありたいと,學究の徒である我々は念願するわけである。良寛は,生涯懶立身,騰々任天眞,嚢中三升米,爐邊一束薪,誰問迷悟跡,何知名利薼,夜雨草庵裡,雙脚等閑伸,と言つた。即ち彼の場合には一束の薪と三升の米と雨露を凌ぐ五合庵があれば事たりたのであろう。然し科學的な方法で間違いの無いものを求め樣とする我々にとつては,研究費が必要であり,又現代の高い文化的生活を出來るだけしようとするのには,米と薪と五合庵では困るわけである。其上出家と言つた形態をとらない科學の求道者である今の研究者にとつて,自分自身には一應それで良いとしても,如何に理解があるとはいえ其家族にとつて,又發育ざかり,教育ざかりの子供等に對して中々不滿足である。こゝに良寛等の樣に簡單に解決出來ないものがある樣である。然も研究の對象が何時社會に役立かどうかわからない基礎的研究は,心の惱みを解いてくれる良寛よりも,むしろ報酬が少いのが道理であるかも知れない。萬一研究の結果によつて金を得る道が偶然に生れても,その富を研究者はこころよく受けないであろう。ピエール「僕達の生活は辛い──益々辛くなりさうだ。それに娘が一人出來ている──多分もつと子供が出來るだろう。子供の爲,僕達の爲に,ラヂュームの特許は澤山のお金,富を代表する譯だ。それがあれば斷然安心だし,仕事の苦勞もしないで濟むではないか」マリー「物理學者はいつでもそつくりその研究を發表します。
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