巻頭言
日本人の精神的人倫的地位
中村 正二郎
1
1山口大学
pp.97
発行日 1970年6月15日
Published Date 1970/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902838
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戦前,日本人は生命に執着せず大義のためには生命を鴻毛の軽きに比するとされた。生命への強い執着を当然とする西欧の合理主義には日本人の切腹は不可解なものとして一種の畏怖の念をもつてさえ見られた。朝日に咲き匂い,時至ればいさぎよく散り果てる桜花は日本人の魂を象徴するものとされた。しかし戦後,戦前の価値は転倒された。人の生命は何より大切であるとされる。二世のボクサーが片言で口にするほか,大和魂などという言葉を口にすることさえ恥じる。生命を国に捧げることはおろか,寸土の私有権を国家と争そうことこそ国家と称する権力悪に対する英雄的闘争であるかのように喧伝する声にみちている。—各人は自分自身のために生き,最大限に自分の思うままに振舞い最大限に自分の慾望をみたすことが自由であり,美徳であるとして恥じない。今やわが国では人と人との間には慾望の激突と,断絶があるだけではないだろうか。
広島大学の若い医学者がガン組織をすりつぶして人体で免疫実験を試みた。これが医学者であろうか。日本の医学はこのような人物を医学者として許すのであろうか。学問はただ知識慾と名誉慾のために追求されるか政治的闘争の手段として利用される。大学の紛争が若い世代と古い世代の断絶によつておこり,管理社会において若年層の慾求不満をくみとることを知らない老年層の無理解によつておこるとの言説をなす者がある。果してそうであろうか。
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