書論
暗闇の荒波にもまれる舟にとっての灯台のあかり
新澤 克憲
1
1精神障害者共同作業所ハーモニー
pp.105-109
発行日 2010年5月15日
Published Date 2010/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100719
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天才は、忘れなくてもやってくる
12月の冷えこみの厳しい朝、グループホームのガレージいっぱいに広げたスーツと本の山に埋もれながら、僕は「もう捨てましょうよ。これ」と彼を説得していた。彼はいずれ田園調布の豪邸に住むから大丈夫とさわやかに笑った。グループホームから「物が多くて掃除が行き届かず、ネズミが出たので部屋の片づけをしてほしい」と呼び出されたのだったが、彼の説は「あれは僕の研究のためのラットだから大丈夫」だった。
その数年前、彼はやってきた。「20年の間、病院にいるのは僕が天才として試されているからなんだ」、それが彼の挨拶だった。名医が診察した結果、脳波に悟りを開いた者だけがもつ特徴が発見されたんだと教えてくれた。病棟から作業所に通いはじめた彼は毎日、区内の図書館を回り、精神薬理学だの漱石全集だの語学のテキストだのをリュックいっぱいにかついできて、博識ぶりを披露してくれた。あるときは医学者、あるときはキャリア官僚、あるときは文学者、教育者と多彩な職を同時にこなすのだそうだ。
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