生命輝かせて―臨床医としての真髄を求めて・6
いちずに一本道
有働 尚子
1
1みさき病院神経内科
pp.467-471
発行日 1999年6月15日
Published Date 1999/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688902483
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第2の生
私は,日本から私の肉体を運んでくれた飛行機がパリのCharle de Gaule空港に着陸した1984年4月15日を,勝手に自分のフランスでの誕生日と決め,文字通り生まれ変わった気持ちでこの地での自分自身の人生の第1歩を踏み出した.日本での誕生の光景にも増して,パリでの第1夜は産声を上げるには,あまりにも惨めな安ホテルの1室で,その声もか細く涙声であったが,ともかくも独力にて,この世に生を受けたような気がしていた.この日から,日々目くるめく新しい経験が眼前に押し寄せ,まるで野生の動物が地上に生みだされるや否や,様々な試練を繰り返しながら生き残るための自然淘汰を経て成長せねばならないかのような毎日であった.
たまたま,到着後3日目に,フランスに着いていることをちょっと伝えるためRondot教授の元へ挨拶に出向いたことで,パリ第5大学医学部サンタンヌ病院の神経内科研修は,思いがけなくその当日からスタートすることになった.今更,宿舎もまだ決まっておらず,何の準備も整っていません,とも言い難く,いや事実はこれらのことをフランス語できちんと表現することが出来ないために,次の日も朝早くから病院に出向かざるを得なくなっていた.
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