連載 介護することば 介護するからだ 細馬先生の観察日記・第42回
「メディアの等式」と介護ロボット
細馬 宏通
1
1滋賀県立大学人間文化学部
pp.68-69
発行日 2015年1月15日
Published Date 2015/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200083
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相手に心があるかないかを問わず、会話したりやりとりする過程で、その相手を“人間扱い”してしまう傾向が人にはあることを、前回「アンドロイド」を例にあげて書いた。
しかし私たちは、アンドロイドのような、いかにも人の形をしたものだけでなく、実は、ごくごく単純な身のまわりのものも、無意識のうちに特別に扱っているらしい。たとえば、長く使っていた携帯や手帳を紛失したとき、車いすや杖を手放すとき、単に不便というだけでは済まされない“痛み”のようなものを感じることはないだろうか。あるいは、そうした身のまわりのもののいくつかに、密かに「○○ちゃん」と名前をつけている人はいないだろうか。あるいは、パソコンがうまく作動しないとき、相手は機械であるにもかかわらず、「なんで動かないのよ!」とキーを力任せに叩いたり連打したことはないだろうか。
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