連載 ほんとの出会い・19
記憶の底からよみがえるもの
岡田 真紀
pp.877
発行日 2007年10月15日
Published Date 2007/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688100934
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若かったころ,アメリカ南部の田舎町で1つの別れがあった。3か月家族のように暮らした黒人のおばあさんと別れいよいよ日本に帰るという日。おばあさんは「ここはあんたの家だよ。日本で嫌なことがあったらいつでも帰っておいで」と言ってくれた。アパートの2階でぎゅっと私を抱きしめてくれたけれど,階下まで降りて,立ち去る私に手を振って見送るわけではない。その淡々とした様子に,「あー,あの時と同じだ」と沖縄,石垣島でのことを思い出した。
古くから伝わる島唄を歌い継ぐおばあさんを訪ねたときのこと。民謡を歌ってもらい,一行一行歌詞の意味を説明していただき書き取るという作業をしていた。おばあさんの本業は八重山のミンサー織りの織り手。二人だけで唄の作業をした後,帰ろうとすると,たくさんの織物のはぎれを下さった。東京に帰ったら小さなバッグや敷物などの小物を作ればいいから,と言って。素朴な綿の粗い肌触りが,おばあさんの飾り気のない素朴さともつながって感じられた。頂いて立ち上がり,バス停に向かおうとしてふと振り向いたが,おばあさんはもうこちらに背を向けて仕事場に行きかけている。それでもなぜか寂しいという気持ちにはならない。本土からの一瞬の訪問者に心をこめて唄を歌い,丁寧に説明し,上げたくなってはぎれを上げた。そしてすっと日常に戻る。このあっさりとしているが余韻のある2つの別れは,2人のおばあさんのまるごとの温かさの記憶となっている。
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