連載 快適な療養生活のために 生理人類学への招待・22
看護・介護と快適性
岩永 光一
1
1千葉大学大学院自然科学研究科
pp.53-55
発行日 2003年1月1日
Published Date 2003/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688100611
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
はじめに
「快適な生活を送りたい」,私たちは誰もがそう願っています。私たち人間は快適な生活を求めてさまざまな知恵をめぐらし,技術を産み出し,今日の繁栄を築いてきたと言えます。飛行機や自動車・コンピュータなどのハイテク機器から身近で日常的な生活の知恵まで,すべては快適を求める人間の願望の産物であると言っても過言ではないでしょう。
快適(性)という言葉はこのように人間の願望の本質的な部分に関わるものですから,多くの工業製品や住宅など,快適であることを謳った商品を多くみることができます。しかし,快適であるか不快であるかということは,あくまでも人間の状態に即して決定されることで,さまざまな環境要素やモノは快適の条件を備えることはできても,決して快不快を決定するものではありません。同じ音楽が,聞く人によって快適にも不快にも感じられることからも,ご理解いただけると思います。
人間の存在は多様なものです。理想的な人間像を追求しても,決して現実の問題解決につながらないことは言うまでもありません。ましてや,不幸にして病床にある方々では,その病や障害の原因や程度にそれぞれの事情がありますからなおさらのことでしょう。人間の存在の多様性を見つめる生理人類学の考え方は,看護・介護の領域にも大きく貢献するものです。
これまでの本連載では,「住居」「衣服」「寝具」「食生活」「音楽」など,快適を獲得するための個々の具体的な手段や考え方について,多くの専門家の先生方が紹介されてきました。今回は,いま一度基本に立ち戻り,人間にとって快適であるとはどのようなことなのか,生理人類学の考え方を紹介してみたいと思います。
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.