連載 amans惠道通信・1【新連載】
祈り
飯島 惠道
1
1東昌寺
pp.74-75
発行日 2001年1月10日
Published Date 2001/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686902309
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●日常としての祈り
「祈り」,美しい響きの言葉だ。神聖な空気に包まれ,一心に祈りを捧げる白衣の天使。そこには,この上もなく清らかな時が流れるのみ。わたしは寺に暮らしている。そこは聖なる空間であり,俗なるものは一歩たりとも踏み入ることはできない……。と,こんなノリで美しくかつ清らかに連載の初回を飾ろうと思ったのだが,見事にはずした。ここまでで文章が書けなくなってしまったのだ。なので,気取らずに等身大でいこうと思う。
「祈り」について美しく語れない理由。それはわたしが「祈ること」を日常とし,なんら特別なことではなくなってしまっているところにある。約一年前までは,看護をすることがわたしの仕事であったが,今は大づかみに言えば,祈ること,拝むこと,弔うこと,利他行を行ずることが,尼僧であるいまの仕事だ。ゆえに看護婦さんが看護をするのと同じくらい,わたしにとって祈ることは普通のこと,日常のことなのだ。では,その日常とはいかにということを,自己紹介も兼ねでお話ししよう。
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