レーマ
PLAN-DO-SEE
高嶋 妙子
1
1聖隷浜松病院
pp.2-3
発行日 1994年1月15日
Published Date 1994/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686900216
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この雑誌の固い感じを和らげようとの企画であるエッセイ欄の執筆を引き受けたのは,その自信があったからではない.のっけから随分無責任な話ではあるが,期待に応えられるかの不安よりも書くチャンスを与えられることの魅力の方が勝ってしまったに過ぎない.それほど私は書くことが好きである.しかし,ただ書くことが好きであるならばコツコツと日記に向かえばよいわけであるから,真意は他にある.書くことによって考えることができる.これも気に入っている.書いたり消したりしながら自分を確かめていくことができる.これはワクワクする。大げさにいえばこのワクワクした思いから生きている実感さえ得る.この点において,1人でコツコツでは物足りないのである.読み手を意識して,即ち自分以外の人と対峙して書くことに意義があるのである.この意識が自分の見つめ方を真摯にさせるから,その緊張感も好きなのである.
とは言うものの,自分だけ楽しんでいては申し訳ないと考え,これに備えてふたつの行動をした.1つは,コラム・エッセイ・小論文など文章修業に関する本に目を通したことである.当然のこととして速効性のある知見は得られなかったが,鷲田小弥太の「小論文作法」が面白かった.著者の考え方の大筋が納得できた.なかでも,「人間だけに許された快楽のうち,今でも,最上級の快楽の1つである書くことに,挑戦してみようではないか」の呼び掛けには全く同感であった.
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