特集 2025年に伝えたい看護 医療の変革期を支えながら,未来につなげる新たなケアの創造を
看護師が行うことに看護でないことは何一つない
秋山 智弥
1
1京都大学医学部附属病院
pp.16-21
発行日 2017年1月10日
Published Date 2017/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686200616
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看護という仕事の尊さを伝えることの難しさ
明治32(1899)年に開院した京都大学医学部附属病院で初代看護長を務めた不破ユウ(1864-1936;旧姓北里ユウ。北里柴三郎の従妹で,新島襄が設立した京都看病婦学校の第2回卒業生であった)は,恩師であり同志社病院長であった医師John Cutting Berry(1847-1936),京都看病婦学校教員であった看護師Linda Richards(1841-1930)への感謝を綴った手記の冒頭,次のように述べている。
「わたくしは明治二十年十月自発的に看病婦学校に入学しました。当時の周囲の情勢は,看護婦という尊い職業そのものに対してまったく無理解の時代であったので,親族知人から,かなり強い反対があったにもかかわらず,『人のなし得ない事を会得したい』という信条に燃えていた私は,敢然とその反対を斥けて入学いたしましたが,その後満二ヵ年の間ベリー先生やリチャード先生の温かいご指導のもとに単に技術的に看護法を修得したばかりでなく,人として世に処する上においての得がたい尊いものを学びました」(不破ユウ『ベリー先生の人格の力』より)
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