連載 中国の看護事情を見てみたい・3(最終回)
中国の看護免許制度と継続教育制度
平井 さよ子
1
,
謝海棠
2
1愛知県立看護大学看護管理学
2愛知県立看護大学大学院
pp.578-582
発行日 2003年7月10日
Published Date 2003/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686100873
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
歴史に翻弄された看護教育制度
中国の看護教育制度の変遷をたどると,今世紀に入って大きく3つの時期に分けられる。新中国(中華人民共和国)成立以前(1949年以前)と文化大革命中(1966~1977年)と文化大革命以後(1977年以後)である。
新中国成立以前の1920年に,北京協和医科大学が看護教育として初めての大学教育課程を設けた。日本に比べてずいぶん早く大学教育が始まったわけである。1924年から1952年までの間に,264人の看護学士が北京協和医科大学を卒業し,そのほとんどが看護界のリーダーとなった。ところが,看護職不足を補うため,1930年に,国民政府による最初の中等専門学校レベルの看護学校が立ち上げられた。中等専門学校は病院に附属し,教育課程は3~4年で,実習はわずか,設備も教員の質もお粗末であった。その後何十年かでその数は増え,共産党政府の支配が始まった1949年には,全国で216を数えるようになった。
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.