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はじめに
私の今回の講演のテーマである「質的研究」について,これほど多くの方が関心を持ってお集まりいただいたことを本当にうれしく思っております.そして,今回応募者多数ということで残念ながらお断り申し上げる方まで出たということは,この新しい分野に対して日本の看護界の皆様がどれだけ大きな関心を寄せてくださっているかよくわかりました.これは私の個人的見解ではありますが,実践の場で研究を行なっていらっしゃる非常に感受性豊かな方であれば,やはり最終的にその研究の方向性として行き着くところは,この質的研究ということではないかと思います.
私の認識では,今回お集まりいただいた皆様は実践の場にある方々だということです.アメリカのこのような講演会ですと,主に看護学の研究者が集まるわけですが,その場合,こういった人たちはアメリカでは実践の場にはいない,主に研究中心にやっていることか多いです.置かれる立場とか,どういった場で仕事をしているかということなんですけれども,それにもかかわらず,私たち看護の世界に携わる人間として,世界共通の絆がある.それによって私たちは結びつけられているという認識があります.すなわち,私たちが現在どこに住んでいようと,どんな実践の場にいようと,私たちは共通の絆がある.それは人類が苫しんでいる.それに対して私たちが何らかの形で手を差し伸べていく.そういった共通の行為を持っているということです.この絆は,人種,階級,どんな文化を背景に持っているか,性別,性役割等にかかわらず私たちを結びつけているものであり,私はこれを「看護の技」と呼びたいと思います.
今,私は「看護の技」という言葉をかなり意識して使ってみたわけです.なぜこういう表現をとったかということですけれども,看護学が技と言った場合に,看護学は科学であるという対極の姿勢があります.そういった立場に立たれている方に関しては,看護学を技と言うのは看護学を冒瀆,誹謗するものであると非難されがちであるということは十分意識しております.その上でこの言葉を遣いました.看護学を研究している多くの研究者や教師は,世界のいろいろなところでかなりいろいろな仕事を積んでこられ,同僚の人たちに「看護学というのは科学である」ということを実証すべくいろいろな作業を進めてきました.確かに看護学というのは確固とした基盤があって科学と呼べる地位を獲得しているわけであり,いわゆる学究の世界において看護学という地位が一応きちんとでき上がっているのですが,その中であえて技という言葉を遣っています.
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