焦点 患者の精神生活にどこまでかかわるか・5
レポート・3
あるわかれ—小児病棟から
小野 港
1
1国立病院医療センター小児病棟
pp.410-412
発行日 1977年10月15日
Published Date 1977/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681200533
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長い臨床経験の間に私も数多くの「死の看護」を経験してきた。しかし今だに,素直に満足感を得たものはなかった。たとえ得たとしても何度か自問自答したあげくのはてだった。このように,「死へ向かう患者をみとる看護」について非常に後悔するケースが多いのも,やはり頭の中では死に対して"このように取り組まなければならないんだ"とわかっていても結果的には悔いを残すことになる。これも,"人の死は全て同じではない"今盛んにいわれている,看護の個別性,を「死」まで,持ち続けなければならないかを語っているのだろうと思う。
大人の「死」も悲しみの深さは同じだと思うが,子供の「死」ほど多くの人々を悲しませるものはないだろう。全く見知らぬ他人でさえ,子供の「死」に遭遇した時にはとめどもなく流れる涙の処置に困った経験を持っているだろう。そのような悲惨な場面に何度となく出くわさなければならない私達は,いくら仕事とはいえ,割り切れるものではない。そんな中で「死の看護」にのぞむ時,私も私なりの看護観を持ってやってきた。まず,「これから死に向かう患児に対して」私の出来る事は,少しでも苦しみから救ってあげることと,そばにいてあげること,だと思う。
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