焦点 清潔の看護に関する研究・1
解説
"患者"の持つ清潔さへの"望み"—〈きれいさ〉の医療上の意味
平井 富雄
1
1東大分院神経科
pp.30-33
発行日 1975年1月15日
Published Date 1975/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681200415
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1.はじめに
まず,筆者が東大分院外科に患者として入院していた時の感想を述べることから,本主題に入っていこう。
傷がまだ癒えない頃のことであった。ある日ドヤドヤとあらくれ男(?)が病室に入り込んで来て,壁に穴を開ける工事をするのだという。理由を聞くと,"とにかく,ここに酸素ボンベを常置するので,そのためにボンベをいつでも,すぐに使えるように,配線をする"ということであった。その結果,何が始められたかというと,病室内の壁に電気ドリルで何か所も穴を開ける"工事"であった。騒音は耐え難く,壁に穴が開けられるにつれその粉の舞うのが,光線の中にキラキラ見えるのは,耐えがたい思いであった。まだ癒えていない傷のために,その音,そのにおい,その粉じんが,どんなに耐え難いものであったか,今でもありありと思い出すことができる。それに,無神経に出入する工事人達の病人に対する傍若無人な態度。筆者でなくても,恐らく患者さんの多くは,療養中にこのような仕業にさらされて我慢できるはずはなかろう。しかし,筆者はあえて抗議することなく,この"仕業"に我慢し続けた。それは,病気のための<気の弱さ>のためだったかもしれぬ。あるいは,"ここはわが家ではない"という<あきらめ>の故であったようにも思う。
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