焦点 清潔の看護に関する研究・1
座談会
清潔—その文化的背景と民族性を探る
安斎 伸
1
,
野口 武徳
2
,
藤井 正雄
3
,
宮田 登
4
1上智大学・文学部
2成城大学・文芸学部
3大正大学・文学部
4東京学芸大学
pp.15-29
発行日 1975年1月15日
Published Date 1975/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681200414
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藤井 今日,私共が日常使っている"清潔"という言葉は辞典などを引くと,"汚れとか,あるいはけがれのないこと"と出ています。清潔というとこのようにすぐに反対概念として不潔,あるいは浄に対する汚,あるいは清めに対する穢れといった,絶えず両極概念を伴って現われてくる言葉であって,又,きわめて生活感覚的なニュアンスのにじみ出た言葉であるとも言えるかと思います。
本日"看護研究"誌から依頼を受けて座談会を催した主旨は,このような清潔という言葉が,我々日本人の生活意識の中で,どのような意味を持ち,位置づけられているのか,又どのように行動に,あるいは衣食住その生活面ににじみ出ているものなのかといった問題について,皆さんにお話し合いして頂きたいということなのです。
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