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海外論文 論評 ウォーカー論文をめぐって
混乱か,明確化か
Obfuscation or Clarification : A Reaction to Warker's Concept of Nursing Theory
Jeannette R. Folta
1
1ヴァーモント大学
pp.118-122,129
発行日 1973年4月15日
Published Date 1973/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681200337
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数代にわたって看護婦たちは,看護というものの定義,機能,目的,手段,目標,功利主義,独自性についてあたかも"それ"が一元的現象であるかのように論争的対話を行なってきた。正確な"それ"の追求は,自然に"自滅"することもなければ知的あるいは科学的試みによって問題が弱小化するということもなかった。事実,正確だが錯覚的な"それ"を追求することにより,論点をぼかしたり混乱させたりする詭弁的言語学を用いた学術的仕事のなかで偽装されてきた新しいジレンマが生み出され展開されてきた。
現在,論議の焦点は看護のなかの理論で看護のための看護理論であるべきなのか,看護における看護理論であるべきなのか,また,看護理論は看護における生物学的理論と対立するものと考えるべきなのか,ということにおかれている1)。このような議論は現実的というよりも文法的なものである。看護理論を看護の,看護のための,あるいは看護における理論などという形で表現している前置詞句で看護を理論の対象として位置づけているし,看護の理論というような形容詞句は看護を修飾詞として用いているし,所有をあらわす句は看護あるいはほかのものを理論の所有者としている。いかなる教義といえどもそれ自体の知識に関してさえ唯一の所有者ではありえないので,後者は実情とはあわない。ある歌詞にもあるように,知識は「万民のもの」なのである。
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