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海外論文
慢性疾患患者の世界の理解
Understanding the World of the Chronically I11
Karen M. Sorenson
,
Drothy B. Amis
,
早坂 泰次郎
1
,
上野 矗
2
1立教大学
2弘前大学付属養護教諭養成所
pp.52-61
発行日 1970年1月15日
Published Date 1970/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681200167
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われわれは通常社会的な昇進や成功,あるいはそうまで言わないとしてもごく普通の幸福な生活を求めて忙しく動きまわっている。そのために自分自身に眼を向け,あるいは自己の存在のあり方を問う時間をほとんどもち合わせていない。ところで人がこうした多忙な社会生活の場から退くことを余儀なくされ,あるいは制限されたとき,いったいどんなことが生ずるであろうか。たとえば,結核のために突然これまでの社会生活を中断し,入院することを余儀なくされたとき,どんなことが起こるであろうか。
結核という病気が人々の頭の中からしだいに薄れている今日,その結核に罹患しているという診断は人々に衝撃であり,気が遠くなる思いである。きのうまで承認できた"結核とのふれあい"は,いまや"よりによってこの私にふりかかるなんて!"という病気として,つまり貧苦に結びつく社会的な汚点としてみられる。たいていの人は抗結核剤の進歩でサナトリウムにはいることを終結した過去のことと考えている。サナトリウムに関係したいくつかの研究レポートはこの見解を一見支持しているように思われる。しかしながら,予防や治療の技術の改善にもかかわらず,毎年何千人という人々が結核に罹患し倒れているのが現状である。ひと昔前よりはずっと入院期間が短くなったとはいえ,多くの人々が病院で治療を受けているのである。
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