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はじめに
本稿では,われわれ自身が忘れがちな東アジア文化圏の倫理に光を当てる。人間の認識や行為に着目する倫理の研究では,データをみる文化的特殊性,すなわちemicと,文化的普遍性,すなわちeticの視点をおさえておくことが必要である。また,emicの視点はこれまであまり重視されてこなかったため,今後,重要性が一層高まっていくと思われる。そのことを,われわれが行なった日本と台湾との比較を例に論じたい。
これまで,看護における倫理的価値は主に近代西洋哲学の思想に基づいて議論されてきた。しかし,倫理的価値観は社会・文化のなかで醸造されるものであることを考えると,倫理的価値はそれぞれの文化・社会で異なるのではないか。その観点からわれわれは,東アジア5つの地域註1において,患者の視点からみた「よい看護師像」を明らかにし,それぞれの文化的価値観を反映した看護倫理を探求することを目的に,研究を行なった。その結果,がん患者からみたよい看護師とは,日本の場合,人と人との相互依存関係を理解できる看護師であった。他方,台湾,中国および韓国の場合は,患者を自分の身内と同じようにかかわることのできる看護師であった(ICN台北,2005;Izumi, Konishi, Yahiro, & Kodama, 2006;周,陳,蔡,周,2007)。
個人の価値観と,個人の所属している文化・社会における価値観との間に関連があることは,多くの人類学者や社会学者,文化心理学者が論じてきた。例えば,社会学者Parsons & Shils(1951)の人間の行為に関する説は,「文化における価値観とは,その文化に属しているメンバーの社会化過程で導かれた一連の価値観である。それぞれの社会の中で直面する諸状況や環境によって,一連の価値観に対する認識に個人差があったとしても,その一連の価値観は,メンバーの構成員によって共有されている」と述べている。つまり,人間の行為を意味づける価値観そのものは,主体性をもつ個人における要素のみで決まるのではない。その個人が属する文化,および社会における価値観の要素を無視できないのである。したがって,価値観に関する議論はいまでも人文科学研究における大きな課題になっている。
看護は,精一杯生きていこうとしている患者や健康者を直接の対象とする現実的な活動である。したがって看護研究は,個人主義的な欧米の看護理論を現場で実践した結果が,その文化からみて妥当なのかどうかを絶えず検証しなければならない。
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