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はじめに
「何よりも患者に害を成すなかれ」とヒポクラテスの誓いにもあるとおり,病院内での患者の安全は,個々の臨床医にとって常に絶対的な優先事項である。しかし,医療ケアの監視の歴史は20世紀初頭にさかのぼることができる一方で,医療ケアの質を評価する体系的な取り組みは,この20年間で広まったに過ぎない。ある有力な定義によると,医療ケアの質は,有効性,効率性,適切性,許容性,アクセシビリティ,公平性という6つの次元で表される(Maxwell,1984)。安全性もこれらの次元に加えられて然るべきだが,実際には,患者への有害なアウトカム(転帰;outcome)に特化した研究は二の次になっている(Vincent,1997)。カナダなど数か国では,医療ケアの質と安全を向上させる取り組みは,両面から同一歩調で進められてきた。イギリスでは,安全を向上させる取り組みは,訴訟数の増加に対応するためのリスク管理として推進され,質の向上とは切り離されて発展してきた。現在になってようやく,クリニカル・ガバナンス(臨床統治;clinical governance訳注1))の導入にともない,質と安全への取り組みが統合されつつある。
質へのアプローチは,膨大な数の用語や定義を含んでいる。ある研究者は,医療分野の質の向上について26の独立したアプローチを同定したが(Taylor,1996),その多くは目的・内容の両面で類似がみられる。医療ケアの質の保証は,外部による監査や認定と関連づけられる傾向がある。また,質の向上といえば,通常はケア過程の内部評価を指すが,産業分野で開発されたTQM(総合品質管理;Total Quality Management)のアプローチと関連づけられることもある。イギリスでは,医療ケアの質は,オーディット(臨床監査;clinical audit)と結びつけられることが多い。オーディットとは,ケアの測定や,ある種の(プロセス/アウトカムのいずれかの)基準との比較,そして理想的には必要に応じて質を向上させるために行なわれる介入といった活動のサイクルである。オーディットや医療の別の場面で最も信頼がおかれているのは,大規模サンプリングである。病歴(case histories)は,臨床的には名誉ある伝統を有しているものの,研究やオーディットでは信用を得ていない。これまでのところ,事故調査に相当するような,1つのインシデントを詳細に吟味するものは,ほとんど見当たらない。
産業やその他の分野で行なわれている質へのアプローチから学ぶ努力はおおいになされてきたが,これに比べて,他分野における安全へのアプローチにはあまり注意が向けられてこなかった。医療分野で仕事をしている心理学者は,(医療における意思決定のような例外もあるが)医療実践よりも,主に健康と病いの心理学に関心をもっている。逆に,他分野で安全の問題に携わっている研究者や実践者は,医療分野にほとんど関与してこなかった。臨床医や医療研究者が,ヒューマンファクターズ,人間工学,安全心理学を,医療分野になんらかの形で貢献しうるトピックとして検討しはじめたのはここ数年のことである。医療分野における質へのアプローチは,概ね,心理学とは距離をおいてきた。例えば,エラー,組織行動,安全文化,そして他分野では安全の基本と考えられているその他のトピックに対する心理学的アプローチは,ほとんど注目されてこなかった。
本章では,本書の趣旨に従って,他分野における安全へのアプローチのなかから,医療現場に多くの貢献をもたらすと考えられるものをいくつか選んで紹介する。本章では主にその背景について述べ,各アプローチのさまざまな臨床現場への適用については後章に譲ることにする。
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