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はじめに
現在,看護研究においては,グラウンデッド・セオリー・アプローチ,エスノグラフィーなどのさまざまな質的研究手法が用いられている。質的研究が日本でまだ十分に認められていなかった時期には,質的研究に対して批判的・懐疑的な研究者も多かったようであるが,現段階では,質的研究はすでにわが国の看護学の分野における有力な研究方法の1つとして定着し,その質の向上や評価手法の確立を目指す段階にあるように思われる。
筆者(深堀)は,大学時代に初めて質的研究について知り,指導教官の指導のもと卒業論文として,半構成的面接によって得られたデータの分析を行なった経験がある。その分析では,作成した逐語録を印刷し必要な部分を切り取ってコーディングするという形式で継続比較分析を行なった。机の上に広げたデータやコードを比較したりまとめたりする過程で,必要なデータを一時的に見失ってしまうなど楽しいながらも混沌とした経験であったことが強く印象に残っている。修士課程に進学した後は,量的研究に主に取り組んできたが,そのなかでも自分の研究テーマへの理解を深めるなどの補助的な目的で,何度か質的データの分析を行なう機会を作っていた。また,一時期は質的研究での修士論文の作成を検討していたこともあり,先輩や友人の院生らと質的研究についての自主的な学習会を行ない,彼らの研究過程や結果を身近に感じることもできた(余談であるが,本稿の共著者である安保氏はその学習会のメンバーでもある)。上記の経験のなかで,質的データの分析においては,インタビューの逐語録や観察内容を記したメモの作成や分析に多大な時間と労力を要し,さらに,それらのデータや分析結果の管理も大変であることを感じてきた。
質的研究とよく比較される量的研究においても,そのデータ規模が大規模になればなるほどデータ管理は困難となる。そのような状況に対して,SASやSPSSなどのコンピュータ上で動作する統計パッケージの発展は劇的な改善をもたらしたといえるだろう。一方,わが国の看護学領域の質的研究へのコンピュータの活用は,筆者が知る限りにおいてはMicrosoft WordなどのワープロソフトウェアやMicrosoft Excelなどの表計算ソフトウェアが活用されている例が多いように思う。インターネット上で検索すると,質的研究を行なうためのソフトウェアの開発を試みている日本人研究者も他領域にはいるようであるが,まだ,製品版として発売されるまでにはいたっていない現状のようである。
海外に目を転じると,質的研究を支援するためのコンピュータソフトウェアが各種開発され,質的データの分析に活用されていることが書籍(Fielding & Lee, 1998 ; Flick, 1998 ; Kelle, 2000 ; Seale, 2005 ; Weitzman, 2000)や雑誌記事(Alpi, 2004 ; Marshall, 2002 ; Morison & Moir, 1998)などで多数紹介されている。読者の方々のなかにも海外の質的研究論文で,NUD*ISTやATLAS.tiといったその種のソフトウェアが使用されたことが記されているのを目にされた方もいらっしゃるのではないだろうか。
筆者は昨年,質的研究を支援するためのコンピュータソフトの1種であるATLAS.ti(図1)がVersion 5からUnicode対応註1となり日本語での使用が可能となったとの情報を得て購入し実際の分析に活用した(深堀・山本・杉山・甲斐・杉下,2005)。その経験からこの種のソフトウェアは,質的研究の遂行とソフトウェアの操作法の両方にある程度習熟した研究者が,自らの研究目的や分析方針に応じて自律的に活用した場合には,データハンドリングや分析のスピードを向上させ,研究結果の研究者間での共有を容易(Flick, 1998)とするなど,看護学における質的研究の遂行に有用であるとの感想をもった。しかし,その一方で,ソフトウェアの操作法に習熟していない場合には,分析過程がかえって煩雑となったり質的データの解釈がソフトウェアの機能によって狭められたりするなどの危険性も感じた。
そこで本稿では,まず前編で質的研究を支援するソフトウェアについて概説し,ATLAS.tiの機能の一端を紹介する註2。後編(本誌次号掲載予定)では,既存の書籍にて紹介されている質的データの分析過程(山本・萱間・太田・大川,2002)をATLAS.tiを用いて再現する形式で具体的操作法を示したい。以上より,質的データ分析にこれらのソフトウェアを用いた場合のイメージを掴んでいただいた上で,質的研究におけるコンピュータの活用について考察したいと思う。本稿が,質的研究におけるコンピュータの活用に関心をもつ看護学の研究者・実践家への一助となることを願っている。
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