連載 海を渡る助産婦 長崎・五島列島で活躍した明松スナさんの手記・3
印象に残っているお産(Ⅰ)
石川 紀子
1
,
小野 幸子
2
1総合母子保健センター愛育病院産婦人科
2前・小野医院
pp.230-233
発行日 2016年3月25日
Published Date 2016/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665200445
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明松スナ助産婦による手記
記録・小野幸子 加筆・石川紀子
ここからは私が取り扱った妊産婦の数,ならびに異常産について述べます。1934(昭和9)年から1967(昭和42)年までの開業で取り扱った分娩数とその内訳は表の通りです。死産については妊娠20週から28週のものが多く,34週以降のものは約1/3でした。1966(昭和41)年頃まではほとんど自宅分娩で,分娩ギリギリまで診察に来ない者も少なくなく,死産のうち,妊娠中毒症が原因と思われる者がかなり含まれるのではないかと考えられますが,「原因不明」で処理してあります。低体重児は1000g(自宅で保育)1例,700g(産婦人科で管理保育)1例で,ともに成育しました。
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