[本誌創刊40巻記念論文入選作―テーマ/「21世紀の母子保健」] 優秀作
お産を考える—ともにあるお産のために
菅沼 ひろ子
1
,
柴田 眞理子
2
,
宮里 和子
3
1聖母病院
2埼玉県立衛生短期大学
3国立公衆衛生院衛生看護学部
pp.1096-1104
発行日 1986年12月25日
Published Date 1986/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207027
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1.はじめに
この論文は,助産学を構築しようなどというむずかしいことを論じようとしているのではない。4組の出産を体験した夫婦のインタビューを通して,21世紀にむけての出産のあり方を見つめ直そうとしたものであり,また,産む人々によって,人間として,助産婦として生かされている私達自身を表現したかったからである。
出産のありようを見つめ直そうとした時,私達は,次の3点をお互いに確認しあった。その1つは,出産という現象は,生理的なものであり,これは,動物が日常の営みとして余り意識せずに日々繰り返している,食べる,排泄する,眠る,群れる,などの範疇に入るものである。したがって,それぞれに個人差があり,千差万別である。つまり,出産の原点は生理的で自然なものであり,個別性が高く,そして,その極地は快楽1)(中国語で「幸」のことだから幸せいっぱいのお産)である。二点目として,出産の主役は産婦と胎児,そしてその家族であること。助産婦は同じ目標を実現するための介添役にすぎない,同志である。この自明の理が何故か,現実では欠落してしまっている。つまり,産む側の主体性を育てる,表現できる,発展させる,などをどう私達は保証していったらよいのか。三点目は,出産にかかわりながら,どんなに多くのことを産む人々から私達は学んできたことか,を自らに問いかけたいということであった。つまり,産む人々によって育てられている存在が私達なのであるということである。
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