被災地からのレポート 東日本大震災 その時,被災地にある岩手県立大船渡病院産婦人科では・2
妊婦を守る―岩手県立大船渡病院産婦人科のポリシー
小笠原 敏浩
1
1岩手県立大船渡病院
pp.718-724
発行日 2011年8月25日
Published Date 2011/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665101964
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はじめに
7月号では,被災地病院である岩手県立大船渡病院(以下,当院)内での,何も考えることができずとても苦しかった大震災後7日間の産婦人科医師・助産師の動きを中心に述べた。今思い起こせば,1か月間はほとんど外に出られない毎日が続き,震災直後は氷点下の厳しい寒さであったが,気がついたら被災地にも春は忘れることなくやってきていた。
大船渡市はリアス式海岸の大船渡湾を取り囲むように市街地がある。大津波は大船渡湾周辺の低い土地を飲み込んだ。当院の病院機能が完全に維持できたのは,市街地からかなり高い場所に建っていたからであろう(写真1)。
震災後1週間が過ぎ,少し落ち着いたところで,自分の公舎に帰ることになった。高台にある病院から坂を下りた時に目に入ってきた光景は,変わり果てた街の姿だった。道路のがれきは取り除かれ道路脇に高く積み重なっていた。津波で建物も様変わりしていた。この日も氷点下の寒い日で山肌にはうっすら雪が降っていた(写真2~4)。初めて見た津波の傷跡に肩を落として自分の公舎へ辿り着いた。幸い,ぎりぎりで津波の影響は受けていなかったが,震度6弱の地震で家の中は物が散乱していた。電気も水道も止まっていたが,大きなトラブルのないことを確認してさっそく病院へ戻った。
さて,震災後も何度も襲ってくる余震の中,他科は救急診療体制であったが,産婦人科は通常外来診療体制・周産期医療体制を維持していた。本稿では,その中で見えてきた被災地病院産婦人科のあり方や,産婦人科外来での妊婦の状況について述べたい。
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