特別寄稿
7,000人の新たな命と向き合った助産師―池田悦子女史の地域に根づいた活動
鈴木 康江
1
,
西村 正子
1
,
藤田 小矢香
1
,
遠藤 有里
1
,
前田 隆子
1
,
池田 智子
1
,
石原 千絵子
1
1鳥取大学医学部保健学科母性・小児家族看護学講座
pp.48-53
発行日 2007年1月25日
Published Date 2007/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100935
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はじめに
わが国で助産行為が職業として法制上で認められたのは1874(明治7)年の医制によってである。「産婆」という名称で,その資格と業務が法的に制定された。その後1899(明治32)年に産婆規則,そして1948(昭和23)年,保健婦助産婦看護婦法(現:保健師助産師看護師法)へと変遷してきた1)。この歴史に沿って,産婆から助産師の時代に地域で活動してきた助産師池田悦子女史(以下,敬称略)は,約7,000件の分娩介助に携わってきた。
今回,われわれは池田にインタビューする機会を得た。助産師としてのこれまでの生き方,そこから見えてきたこれからの助産師のあり方について多くの示唆を得たので報告する。
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