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はじめに
唐突な話で申し訳ないが,筆者は以前から教科書が好きである。いや,教科書に載っていることを手がかりに載っていないことを見聞きしたり考えたりすることが好きなのであるから,正確には教科書がきらいなのかもしれない。いずれにしても,教科書に載っていないことに対する好奇心は年を重ねるたびに強まるばかりで,今では看護のアート*という怪しげな概念を追究することが生業の1つとなりつつある。
L. Page1)によると,われわれ助産師が臨床で行なっている判断やそれに基づく行為は,多く見積ってもその15%しか科学的な証拠をもっておらず,残りの85%は完全には科学的に探索されていないらしい。これはなぜだろう。研究に対して拒否的な態度や抵抗感を有している助産師が少なくないという指摘2),科学的根拠をもつとされる介入行為の影響が時に母児にとって有害となることから助産師が賢明にもそれらの行為を避けているという指摘3),どれもうなずける面がある。しかしこれに加えて,助産師の判断や行為というものが対象である母児とのかかわりのなかで生まれ,熟し,発展するというダイナミクスが,現代科学では解明不能なほどの複雑さを有しているということも一因としてあるのではないだろうか。
産婦へのケアとは,お産に臨む女性の力を最大限に引き出すために,助産師のもつ知性と感性を最大限に活用することであるといわれる。特に分娩第1期は,分娩のクライマックスといえる第2期への移行期として大切であるばかりでなく,そこに妊娠期の過ごし方と,妊娠期からの助産師のかかわりが反映され,育児期に向かう女性の姿勢に多大な影響を与えるという意味でも,「これまで」と「これから」が交差するターニングポイントとして決定的に重要な時期である。このことは,女性が自らの出産体験を振り返るとき,その語りのほとんどが分娩第1期での体験についてであることからも裏付けられるだろう。
分娩第1期のケアにおいて,助産師がどのように自らの知性と感性を活用し,産婦のもつ力を引き出しているのか。そして,分娩第1期のケアを産婦はどのように体験しているのか。本稿では,このような問いについて筆者の研究をもとに考えてみたい。それは「科学的証拠をもたない85%」に分類されるであろう,未だ教科書に載っていないケアの“秘法”である。しかしその確からしさは,研究評価委員会ではなく,産婦と助産師学生という最も厳しい査定者によって体験的にジャッジされているのである。
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