インタビュー 松本清一先生に聞く
戦前から戦後にかけてのお産の変化(後編)
三砂 ちづる
1
1津田塾大学国際関係学科
pp.336-340
発行日 2006年4月1日
Published Date 2006/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100090
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病院と乳業会社の癒着による,母乳率の低下
松本 昭和30年頃,病院分娩が増えた時に,乳業会社が方々の病院に入りこんで,職員を病院に派遣した。そして母親の指導などを,新生児室のところでやってくれ,自社製品を持ってきて,退院の時に「おみやげです」と言って渡して帰すわけです。そうすると帰ってからは,子どもはそのミルクを飲むようになる。だから乳業会社としてはとりっこだった。
三砂 1960年頃,日本だけでなく,多くの発展途上国に粉ミルクが導入されました。私は1980年代の終わりにブラジルに行き,10年程いましたが,はじめの頃でもミルク全盛でした。田舎ではミルクを持っていくことが,「父親として責任をとる証」のようにいわれていたところがあったから,お母さんたちもミルクを男の人に持ってきてほしくて,おっぱいをあげないということがあったりしました。粉ミルクの持つ力は絶大でした。しかし,政府主導で逆転させていきました。90年頃には病院から哺乳瓶が駆逐され,未熟児にも搾乳した母乳をコップであげるようになっていました。一端,ゴムの乳首に慣れると,お母さんのおっぱいに吸いつきませんから。
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