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はじめに
2011(平成23)年3月の東日本大震災直後,東京都内の浄水場で放射性物質が検出された。筆者(三森)の2歳の娘が通う保育園では,それから数日間,給食やおやつはペットボトルの水で調理され,飲み物もペットボトルの麦茶になった。巷の家電量販店の店頭では,ウォーターサーバーが飛ぶように売れるという異様な光景を目のあたりにした。保育園の送り迎えのときには,誰からともなく「水はどうしてる? 買ってる?」「野菜とか魚,心配だよね」という母親同士の会話が日常的になり,これから先の生活がどうなってしまうのか,漠然とした不安を抱かざるを得なかった。
ただでさえ心配事や悩みが尽きない子育てにおいて,放射線についてはわからないことが多く,メディアや口コミなどあらゆる方向から情報が降り注ぎ,それらに振り回された。不安ばかりが募り,混乱した。
原子力発電所により近い地域の住民たちは,いまだなお,地震や津波による災害や原発事故による影響が続く中で子育てをし,混乱の中で不安や怒りを抱えながら,ストレスの多い生活を続けている。保健師は,そのような住民の不安やストレスに最前線で向き合い,住民でありながら専門職として,ともに苦悩しながら関わってきた。
地域の日常や暮し方を把握し,地域の未来を担う子どもたちの健やかな成長を支える保健師は,放射線防護文化の形成の鍵を握る公衆衛生の専門職である。保健師が放射線防護文化の形成を促すためには,「放射線の知識」をベースに,住民とともに放射線に関する不安や悩み,ストレスを共有し,集団や個別の対話を続けることが必要である。
筆者らは,福島県A市の保健師(以下,保健師)と,放射線防護の専門家(以下,専門家),公衆衛生看護の研究者(以下,研究者)が協働し,既存の母子保健事業の一部に,放射線に関するミニ講座を組み込み,子育てにまつわる放射線に関する不安や悩みについて対話を行う協働実践の機会を得た。その内容と成果を報告する。
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