特集 保健師ライセンスの現在
保健師ライセンスの背景―資格ができた歴史的経緯
名原 壽子
1
1九州看護福祉大学看護福祉学部看護学科
pp.456-461
発行日 2006年6月1日
Published Date 2006/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1664100369
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看護師とは別に「保健師」のライセンスを規定しているのは,わが国独自の制度である。なぜこの資格が作られたのか,歴史のなかからその意味を考える。
制度化以前の「保健婦」の名称
■昭和初期に公的に「保健婦」の呼称が使われる
●「小児保健所計画」の保健婦(大阪乳幼児保護協会)とわが国最初の小児保健所1)
わが国の乳幼児死亡率は1918年には出生千対189.7に達し,高い乳児死亡に対して内務省に設置された保健衛生調査会は1922年,内務大臣の「乳児及び幼児の死亡率低減に関する方策如何」の諮問に対し,小児保健所設置案を答申しました(1926年)。内務省は同1926年12月,この答申にもとづいて地方長官宛に衛生局長通知「小児保健所の設置に関する件」を出し,具体的な「小児保健所計画」を示しましたが,このなかに初めて「保健婦」の名称が用いられて乳幼児の訪問活動をする専門職名として示されました。
この小児保健所の設置と普及に最も熱心かつ主体的に取り組んだのは,乳幼児死亡率の最も高い大阪府でした。日本赤十字社大阪支部病院の小児科医長大久保直穆は,小児科学会大阪地方会の幹部とともに行政と連携して「大阪乳幼児保護協会」を官民一致で結成しました。1928年1月,小児保健所第1号として大賀小児保健所を発足させ,2か月後に聖バルバナ小児保健所が開設されました。篤志家の財政的援助を受けながら乳児死亡率の高い地区を選んで増設し,10年足らずのうちに大阪府下に25の小児保健所が誕生しました。
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