特集 看護教育哲学
看護教育哲学はなぜ必要なのか—看護教師の視点をどのように設定するか
久保 成子
1
1善隣基督教会付属尾竹橋准看護学院
pp.601-610
発行日 1984年10月25日
Published Date 1984/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908010
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学生の実習日誌から—①失禁患者の人間的尊厳
内科病棟316号室.入院患者の平均年齢が70歳を超えているこの女性の6人部屋には,失禁状態を克服できない患者がいる.脳梗塞で倒れ,半身が不髄となり自らの体動すら不可能な状態で,言語中枢の障害も著明なため,‘アー’とか‘ウー’といった発語がすべての意思表示の手段となっている.この患者に対しての看護計画は,日常生活行動のすべての段階に対する援助と,健康な側の半身をいかに回復させていくかのリハビリテーションが詳細に計画されていた.
ほかの5名の人々は,心疾患や高血圧症などの患者で病状は安定し,既に退院の許可が出ているが家族の都合で延びのびになっている人が3名もいる.
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