大正看護史・2
看護婦規則をめぐって
渡部 喜美子
1
1都立鷺宮高校
pp.125-130
発行日 1982年2月25日
Published Date 1982/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907651
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日本最初の看護婦規則(明治33年東京府令)から,全国的に統一された内務省令による看護婦規則発布(大正4年)までに,15年の歳月が過ぎている.この間,東京府令を参考にして各府県ごとに看護婦取締規則が出されたが,年齢や資格の与え方など,程度を下げたものであった.この時代は,日清戦争から日露戦争,さらに第一次世界大戦へと相次ぐ戦争の中で,産業改革が展開され,資本主義の急速な発達に伴い,徐々に女性が職場に進出していった.特に農村では,地祖,年貢に苦しむ農家の娘たちは,紡績女工,女中,また娼妓として働かざるを得なくなってきた.
こうした社会的背景の中に,看護婦希望者も都市の病院,開業医院,派出看護婦会に,住み込みながら資格を得ようとする農村出身の女性たちが徐々に増加していった.ここでは,看護婦規則を中心に当時の看護婦の実態を見ることとする.
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