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教師としてのわたしの経験—研修生としての臨床実習指導から学び得たこと
藤田 美津子
1
1山口大学医学部付属看護学校
pp.412-416
発行日 1978年7月25日
Published Date 1978/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907225
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はじめに
人間らしく生きるための条件が高度で複雑であるがゆえに,人間は教育されなければならないとされている.教育は,過去の知識や伝統の尊さを,また技術の重要性などを一方的に伝えることだけではなく,‘ひとが自己自身の中から,成熟した人格としての人間をつくり出していくのを助成するため,是非とも為さねばならぬ援助’1)であると,ランゲルフェルトは強調している.
援助という言葉は,直接に手を添え力を貸して何かをするというだけではなく,自主性が育つのを助けるという意味が含まれている.はたして,そのような援助ができるのであろうか.ロージャスは‘もし私が,あるタイプの関係を設定することができるなら,その相手の人は,その関係を使用して自分の中に成長の方向に向かう能力を見いだすであろう.その結果,変化のプロセスと人格的発達が起こるであろう’2)としている.
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